厳選したヨーロッパのタンニン鞣しの革を中心に使い、一点物の総手縫いの革小物の制作・販売をしています。leon


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カテゴリ:アジア旅行記( 10 )

始まりの国タイランド

9日に成田を飛び立ち今バックパっカーの交差点カオサンロードにいる。
運良く、ついた日は、国王の誕生パレードの最中で、タイのメインロードには、イルミネーションが物凄く、表参道の5倍はある。
そして、何百人もの人が黄色いポロシャツや、Tシャツを着ている。街じゅうに国王の写真が並び屋台が並び、5車線道路は車と人で、埋め尽くされていた。
雨季のこの季節気温軽く35度をこえつずけている。雨の方は、たまにザーザザーと降るぐらいで、照り付ける太陽と湿気が、恐ろしく水分を奪い水や、フルーツをとても美味く、手放せないものにしている。
タイは前に行ったベトナムと違い、道をまっすぐ歩ける。タクシーも交渉すれば、ベトナムのように、高速メーターに、早変わりすることも無く、降りたところで待ち構え手いることも無い。
市民の足の市バスはエアコン有り無し、値段もさまざまで、エアコン無しのバスに乗り込むと、そこは、サウナより暑い、乗り込んで3分ごには滝のような汗が、全身を伝う。しかし、周りを見渡すと、タイ人は汗一つかいていない。
この三日の生活は、ほとんどマーケットにいって、こっちで知り合った、ギャンブラーとタイ語しか通じない国で、身振り手振りで、何とか目的地に行って、タイ人の人に発音を教わりながら。人生をかたっている。この3日いろいろなことがあって、書ききれないし、かくのもちょっとだるくなってきたので、このへんで。

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by sittemasuka | 2007-06-12 14:54 | アジア旅行記 | Trackback

神とジャンベの島バリへ

色々な出会いがあって、初めはオーストラリアの友達から。(カンボジアで会った2人の友達から)バリを目指すことになった。ジャンベをGETしに。
カオサンでビザ代含めて、ガルーダインドネシア3ヶ月オープンのチケットを大体4万円ぐらいで手に入れて、*バリのビザはツーリスト1ヶ月賄賂で6カ月までのばせる。
ついにバリへ向かう。
運よく89月はベストシーズンなのだ。
夜10時にデンパサール空港に降りたつ。空港には沖縄のように、やしの木が揺れる。
とりあえずクタを目指そうと思いながら一服しているとバリ人のタクシードライバーが法外な値段といっても、10ドル。だが、プラマのシャトルバスで1万ルピアでいける。まー1ドルちょい。
だが、この時間べモも、シャトルバスもないので何人かに交渉しているとわかった5万ルピアでいくというので、マーいーかとタクシーに乗ると、50万だとほざきだした。お前はあほか?といって、タクシーをで、個人タクシーのおっさんたちをふりきり空港のリザベーションにいくと4万500で行くというんで、頼んでもらった。
バリ人にむかついたのはこの一件と後のうそつきヒンドゥーだけで、この辺りでは、ラオス、インドネシア人がめちゃめちゃいい奴らだった。ラオスは素朴な良さ。バリ、ジャワはとにかくフレンドリーなのだ。
何はともあれ、めぼしをつけていたロスメンをタクシーの運ちゃんに言い、車は走る。10分ちょいでクタのメインストリートに着くとスターバックスありマックありレストランあり、ドルチェアンドガッパーナなんかも立ち並ぶえらい都会に見えた。その時は。。。
路地のうらまではは入れないということなので、歩いて宿までたどり着き、値段を聞くと、シングルルーム、水シャワー、で3万5000ルピアでちょっと高い気がしたが、これ以上さがすきにもならないので、部屋をみしてもらって、きれいだし、広いのでここにきめて、とりあえず、タバコを買いに、コンビニへ向かう。夜一人で歩いていてもぜんぜん平気な街は言いなーと、バリタバコを数種類買うとガラムのようにほとんどが甘い香りを放つ。
それにしても、夜水シャワーを浴びると寒い。。。。バリの朝夜は寒い。
次の日、まずはジャンベを買いに街にいくことにした。
とりあえず、レギャンビーチにをプラプラしているとマッサージおばさんタトゥーおじさんお土産オジオバに囲まれて、ものを見てもいいものがないんで、断わってもひつこい。。。。とりあえず、
何をしているんだと聞かれたので、ジャンベを探しているというと頭を金髪に染めたバリ人がやってきて、俺の友達がジャンベショップをやっているというので、ついて行くことにした。
そんで、後に遊び友達になるエディー一行と会うことになる。
また、いつものように、他の日本人はなんで話しかけても無視して行くんだ?ときかれた。
エディーの店に着くと皆店の前でジャンベを叩いている。エディーがまたうまいんだ!!
とりあえず何個か叩いていると、ラスタカラーのデザインが入ったヤギ皮のジャンベの音が良くて、他の店にも行ってないのに、これだ!とまさに出会いでこのジャンベを買うことにした。後にウブドやら何軒もの店でジャンベを叩いたがやっぱりこれが良かった。
値段は1ミリオン7ハンドレット約2万円*バリのジャンベアベレージは1万円とか8000円一番でかいサイズ。
何か、このジャンベだったらこの値段でいいやと思い他にラスタカラーのケースと、ストリングを締める道具をつけてもらって、atmに行き金を下ろして買った。やっとmyジャンベが手に入ったのだ。まさにこいつに出会うためにバリに来たのだろう。
明日5時に店が終わったあとスミニャックのほうで練習するからくるか?と言われたので、約束をして、また、バイクに乗り、ラジカセを探しに行くことに、色々店を回り少しでかめの、ラジカセを50ドルぐらいでかってワルンに飯を食べに行った。ワルントいうのは屋台のことで、5000ルピアぐらいでめちゃめちゃ旨いナシゴレンが食べられるのだ。ワルンめしは後々思うのだが、タイよりも旨いのだ。
その後、ボンティーと言う店で、ジャンベのライブを見に行った。ジャンベ4人ジュンジュン、ケーナ、ディジュと最強に良くて、オーストラリアを思い出した。その日は夜中に帰って、寝た。
次の日、海にジャンベを叩きに行くことにした。だが、レギャンは落ち着いて叩くところがなく、街のマーケットに服を見に行くことにした。
その中で仲良くなったバリ人とジャンベを叩いて4;30までずっと話していたら約束の時間にまにあわなそうだったのでバイタクを捕まえてエディーの店へぎりぎりに着いて、他のジャワ人にジャンベを教えてもらって、エディーのバイクに乗ってスミニャックの方のエディーのグループのところに行った。そこにはジュウンジュウン3人他にジャワ人とヨーロピアンのジャンベ叩きがいて、めちゃめちゃ楽しそうに街の真ん中でめっちゃいい音楽を奏でていた。
その後エディーの弟の家に行ってご飯をご馳走になり、色々はなして。家まで送ってもらった。
また行く約束をして。
その後何日か他の場所であった、サーファーやジャンベ叩きや、元ギャングのやつらと色々ジャンベを叩いたり、飲みに行ったりして、1週間は飛ぶように過ぎていった。。。。。。。
皆ほんとにいい奴らでバリいいなーと思いつつ、約束しては色々なところに行っていて、少し寝不足だったので、ウブドに行こうと決意する。その前の晩バリ人と遊んでいる日本人のもとバッパーの人と会って一緒に飲んで、ビリヤーッドをしたりして話しているうちに、ウブドはメッチャいいというので、このままだとクタで終わってしまいそうなので次の日バイクの運ちゃんとデンパサールに行き、次の日アーティストの村ウブドを目指す。
 

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by sittemasuka | 2006-09-25 16:06 | アジア旅行記 | Trackback

バイヨン微笑み。。。。。アンコールの夜明け

2日目は、自電車がだるいので、こっちであった友達と、トゥクトゥクに乗り込み、アンコールワット、アンコールトムの周辺を行く。
今日は普通に起きたので、あまり眠くない。二度目のアンコールはなんだか、1回目のアンコールより落ち着いて、何気ないところに目を向けられてよかった。
もう一人の彼が神の領域に上っている頃、階段の下でパカパカ叩いていると、プノンペンから来たカンボジアの人に話しかけられた。どうやら彼は音楽が好きらしく、ドラムの音が聞きたかったらしい。彼に進めると照れながら、カンボジアのリズムを奏でてくれた。
君はフレンドリーだねとまた言われた。
どこに行っても思うのだが、なぜか日本人の多くは、外国に来て、外国の人に話しかけられると、挨拶すらも返さずに、シカトして通り過ぎて行く。。。。地球の歩き方のせいかもしれないけど、話してもいないうちに、だまされるとか、危ないとか思い込んで黙ってサーと挨拶も聞こえないふりをして通り過ぎて行く。 現地の人と話している時にそれをやられると、なんだか寂しくなる。いい人や出会いを沢山逃がしている気がする。
彼は一緒に来ている彼女と結婚するらしい。もうかれこれ10年付き合っているらしい。彼は25歳で青春の大半を一緒に生きてきた人と結婚するのだ。何か素敵だなーと思った。
一通りお互いのことを話したころ神の領域から降りてきた彼と合流して、アンコールトム周辺へ。
その頃には空は今にも雨をこぼしそうだった。
まず、バイヨン寺院向かうことにした。正面につくと、トゥクトゥクのドライバーがこの辺は遠いから別料金だと言い出したので、半ギレで最初にこの辺まで9ドルだと言っただろうが!とヤツを納得させるのに、時間を使ってるうちに、霧雨が降り出した。
正面で写真をカシャカシャ撮っているうちに、スコールと言うか、嵐が吹き荒れ、中に入り、バイヨンの微笑を見ているとなんだか不気味だった。他の寺院と違い、開放感はなく、何だかこの寺院は要塞のような雰囲気があるのだ。それに無数にある微笑みを称えた石造が周りを囲む。
横から上から雨が吹き込んでくるので、とりあえず、トゥクトゥクのそばの店に走って戻る。
ここでずっと探していた口琴を見つけ、2でミヨンミヨンやっているうちに、雨はもういいかっと小ぶりになった頃、隣の店でクメールシルクのシャツに着替えて再びバイヨン寺院に行って帰ってくると、すでに5;40分でこの辺はもう閉まる時間なので、宿に帰ることにした。
その夕方、カンボジア人と友達になり家に行った。その家に行く途中は、シェムリのメインの道とはかけ離れていて、外国人も居なければ,ボコボコの道が広がり、観光地との違いと生活の違いがどうしても、貧富の差を考えてしまった。
家について兄弟を紹介され、水を出してもらった。その水はドアのそばに置いてある茶色の水で、正直食中毒が怖かったが、ここで断ったら悪いので、ありがたくいただいた。
当たり前だが、現地の人はミネラルウォーターを飲んでいるわけはない。いったい世界で安全な水が飲める国はどのぐらいあるのだろうか。。。発展途上国のほとんどの人は水で病気にかかり、命をおとしている。
彼は同い年ぐらいで兄弟4人を一人でやしなっているのだ。俺たちがむきになって、値切っている金のほんの何百円でも彼らには大きいお金なのだと思った。しかし、値切るなと言っても、バッパーには無理だが、何十円ならいいかなと、少し思うようになった。
次の日前回の教訓を生かし、5:20分に他2名とトゥクトゥクに乗り込み、真っ暗なうちにゲートをくぐり、正面左のアンコールワットが水面に映る場所で、場所取りをして朝日を待つ。
やがて空は青く染まりだし、アンコールを青く染める。やがて雲はかかっていたが、黄金色に世界は包まれて行く。。。
次第に夜はあけ、気持ちのいい朝の時間が辺りを満たし、何だか満足して、もういいかなと、他の遺跡を見ることなく、アンコールワット券最終日は終わった。タップロームなどは見なかったが、充実感が満たしていた。
また来ようと思った。


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by sittemasuka | 2006-09-20 18:28 | アジア旅行記 | Trackback

夜明けのアンコールワット バンテアイスレイ音楽団

朝4;30に本当に何とか目覚ましで目が覚めた。今日やっとアンコールワットへ行くのだ。
80%以上死んだ頭でゾンビのように玄関に出る。ちょっと一息のつもりが何と空はすでに白み始めているではないか!!!
これはまずいと、自転車を借り、7キロ先のアンコールワットに向けシャカシャカシャカシャカカカ
ー!!!ともうダッシュしているうちにどんどん空は白んで行く。。。。何とか入場ゲートに着き、急いで写真を撮り、3日券¥40ドルをもぎ取られ、さらに急ぐ!
目の前に湖が広がり、遠くにアンコールワットらしきものが見えてくる。
やがてアンコルワットに繋がる橋が現れ、ゲートの向こうはアンコールワットだ。
急いで自転車を止め、いざカメラ片手にアンコールにと小走りに向かうのだが、ゲートの前のガードマンというかチェック係の男に呼び止められ、パスを見せてくれと言われ、一刻も争う時間に半分切れ気味にパスを見せ、ダッシュする。
もうこの時間には客朝焼け目当ての観光客がぞろぞろ居るのだ。
人ごみを掻き分け、ゲートをくぐると、ついにアンコールワットが遠くに見える。
感動する前に結構明るくなっているアンコールワットのベストアングルを探し求め、走りに走って、カシャカシャ取りながら進んでいるうちに中に入ってしまった。またカサカサ小走りに中へ入り、シャッターポイントを探しているうちに、アンコールワットの回路を抜け神の領域へと通じる、階段まで入ってしまった。もう近すぎて、取りたいアングルでもないので、人気のないところに腰を下ろし、朝日があがりきるまで、アンコールワットをただボーット見上げていた。
まだ実感が湧いてこない。。。。
日が昇りきる頃に、思っていたより、かなり急な階段を上りかつて聖域だった場所に足をふみいれたが、正直聖域としての厳かさは感じられなかった。
また、急な階段を降り、いったん外に出てみる。
アンコールの裏には人も居なくて人気のないアンコールをボート見ているうちに、やっと俺はアンコールワットに来たのだと思えた。あの一之瀬泰三があこがれつつ”けたアンコールワットへ。
その後ラーマヤナの壁画を見ながら正面の玄関に出て、再びカンボジアの太鼓を求めて、近くの小さなおみやげ物街に行って、片っ端から叩きに叩いて、2個目の太鼓を手に入れ、
橋を渡り、自電車を置いたところに戻る途中カンボジア人に話しかけられ、話しているとこっから、15キロ離れているところに、バンテアイスレイと言うヒンドゥー寺院があるらしい。
なんやかんや20ドルを8ドルにしてもらって、バイクでバンテアイスレイに向かうことになった。
走っている途中もカンボジアやいろいろな話をしながら15キロに思えない、長い道のりを走っていく。
バンテアイスレイにつくと、レストランがあり、安くしてもらって、2時間ぐらいはなしていたようで、時間がなくなりそうなので、パスをみせ、中に入ると美しいレリーフが広がっていた。
写真を撮りながら、とことこ歩いているとやつが現れ、俺はカメラマンになりたかったんだと、カメラを奪い、シャッターを切りまくるので、あまり写真は取れなかった。
そうこうして歩いている途中どこからともなく音楽が流れてくる。
何だ何だと音のするほうにダッシュするとカンボジアの楽器のバンドが居た。その音は、中国を思わせる音でとてもとてもキレイな音を奏でていた。それもその人たちは体のどこかに障害を持つ人たちで、腕もない人もいるが、それを思わせないような器用さで、音楽をかなでている。
なんだか感動した。やっぱり音楽には何の境界線もないんだなと思った。
早速太鼓を片手に混ぜてもらい、つたないセッションをして、本当にいい時間をすごせた。やっぱり音楽はいいなと思った。そのあと、一之瀬泰三の亡骸が発見されたと言う場所に行ったのだが、そこには日本語で一之瀬泰三と書いてある墓らしい石がおいてあり、なんだか信じられないで居ると、近くの小屋に連れて行かれ、泰三の両親が来たことが書いてある新聞をjみせてもらった。ここがもし本当に泰三の眠る場所なら泰三はアンコールワットにたどりつけたのだろうか?
ここからアンコールワットへは20キロ離れている。この辺一帯には当時クメールのゲリラが当然居たに違いない場所なのだが。

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by sittemasuka | 2006-09-16 02:04 | アジア旅行記 | Trackback

隠れメイン ベンメリア遺跡へ

今回のカンボジアの密かなメインはこのベンメリア遺跡だった。そこに行くためにその日から色々な人に募集を掛けていると、家族でカンボジアから世界旅行に出る家族にあった。そのお父さんは10年前にカンボジア、シェムリアップに来たことがあるそうな、、、そのときはタイ~シェムリアップはさらにさらに凸凹で、シェムリの街も今のようにコンビニやレストランATMはなく本当に何もない街だったそうな。10年前のカンボジアに着てみたかった、、、、、そうしたらもっともっと、アンコールワットへの道に憧憬を覚えただろうと思って。
そんで、何やかんやで、次の日セダンで55ドルをセパレートで、入場料5ドルを出して、手付かずの数少ない遺跡、ベンメリアへ行くことになっのだ。
朝早くにダラダラと起き出して、朝飯を食って、お弁当をつくっってもらい、遺跡PICNICに出た。
サーササー凸凹凸凹と車をが走る。タバコを吸おうとすると車は止まる、考える、、、中ではダメなようだ、、、、降りたついでに、カンボジアでGETした太鼓を叩きに叩く!!!!村人が遠くから見つめている、、、、、さらに叩く!!ドライバーが来る、、、、止められた、、、、警察が来るらしい、、、、、警察は嫌い、、、どこの警察も嫌い。
気をとりなおして車に乗り込み、ゲートで入場料を払い、少しすると、あっけなくベンメリアへの道の前に着いた。ちょっと前までは、山賊が現れたようで、機関銃を構えた少年が同行したらしいが今は危険な雰囲気はない。
道の前にはガイドがいて、どうやら、2ドルでガイドしてくれるらしいので、色々聞こうと、頼むと、このガイドはラーマヤナとライブラリーしか終始言わず、何を聞いてもI DONT KNOW、、、まさに、只邪魔なだけなので、お勧めしない。
ベンメリアへの道の前にはナーガ(複数の首を持つ蛇) が両脇を固め、壊れたナーガが何体か、転々とアル、、少し歩くとコケに覆われた瓦礫の山と共に、森の中から当時門だっただろう遺跡が姿を現す。ついに、ベンメリアへたどり着くことができたのだ!
発見当初と変わらない姿だとその周りに生えているコケが物語っていた。
瓦礫の山をテクテクと登り、建物の中に入ると、日の光が薄く中を照らしていた。
この遺跡のほとんどの彫刻や建物は壊れていて、当時の姿を頭の中で創造してみたけれども、今のこの静かで、コケが生えていて、どちらかというと森の一部のような場所の中では人々が生活していたことが、うまく想像できなかった。長い年月の中でこの遺跡は、森に帰ったのだろう。
途中太鼓を叩いて、入り口に戻ると、ただ、気持ちよかったな~ というのが感想だった。
また、もとの入り口に戻り、弁当を食って、太鼓を叩いていると、ぞ~ろぞろ 、、そろぞろー!!と子ども達が集まってきたので。気合を入れてジャンベのリズムを叩いてみると女の子は踊りだし、他の子はシャイにこちらをじっと見ていた。叩き終えて子どもに叩く?と身振りで聞くと、はじめはシャイに叩いて叩いてとこちらに返してた。何度か勧めると、一人の男の子が恥ずかしそうに太鼓を叩くと、やっぱりいい笑顔で自分のリズムを楽しそうにたたいている。やっぱり子どもは可能性が無限にあるんだな~と聞いていて思う。しばらく色々な子ども達や、村の大人達と交互に叩いていると、トランシーバーを持ったおじさんが近ずいてくる、、、、またポリスかと思っていると、トランシーバを太鼓にあて叩いてくれという。どうやら誰かに聞かせたいらしいのだ。一通り叩くと満足して、少し話していると、一緒に来た日本人の男の子が来た。遊んで来いよ~というとこいつもシャイBOYで、カンボジア公園デビュウーは次のきかいなようだった。
カンボジアの子どもと暫らく目や太鼓で話しているうちに、ココに太鼓があれば、きっと最高の笑顔で楽しんでくれるんだろーな~と思い、太鼓をプレゼントした。車から子ども達の太鼓を取り合って、叩いている姿を見ていたら、良かったと思った。ベンメリアも良かったけど、あの子ども達に会えてもっとよかったと思った。あの太鼓もココでなら幸せに暮らせるだろう。
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by sittemasuka | 2006-08-27 00:42 | アジア旅行記 | Trackback

プノンクノン(カンボジア)

いつまでも続くような闇を抜けて、やっとのことで、シェムリアップに着く。
案の定訳の分からないホテルに着きここ安いよ!ここ安いよ!とカンボジア人に囲まれる。とりあえず、当初行く予定だった、takeoかチェンラに行こうとすると宿の値段は下がり、途中会った日本人とシェアで一人2ドルらしい。疲れていたし、相当キレイなホテルだったのでここにとまることにする。後でわかったのだが、街からここは遠いのだ。部屋にとうされると、それはゲストハウスではなくホテルそのもので、きれいで広い部屋にキレイなシーツにシャワーに洗面所までついていた。
翌朝予定どうりtakeoに移動する。そこにだいたいの交通費、例えばベンメリアまでセダン55ドルトゥクトゥク35ドルアンコール遺跡群一日チャ-ターバイクで6ドル前後などなど。
アンコールワットはもったえぶりたかったので、話の流れから一日目はプノンクノンという15分ぐらい山を登ったところにある夕日スポットに三人で出かけた。生暖かい風の中をトゥクトゥクでちょと町を抜けると、田園風景が広がり人々ののどかな生活風景が広がり、あ~やっとカンボジアに来たんだなーと実感が沸いてくる。15分ぐらい山を登るとお寺があり、さらにそこを抜けると遺跡がちらほらあり、トコトコ周りを歩いてみると、カンボジアの田園が黄金色に染まってキラキラと輝いている場所を見つけた。2人を呼び、タダ、ぼ~っと沈んでいく風景を見ていた。きっとこの風景は一生忘れない風景の1つになるに違いない。
その夜、カンボジアの伝統的なダンスのアブストラルダンスを予約していたので、早めに山を降りた。その夜は、ひと時バックパッカーを忘れるようなレストランで回りは小奇麗な旅行者でいっぱいだった。(10ドルも払ったのだから)少しするとなにやら学芸会のような催しが始まり、気が気ではなかったが、少し立つと、煌びやかな衣装をまとったおなご達が妖艶な宴を披露していた。それはどこかインドを思わせるようなものだった。
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by sittemasuka | 2006-08-20 14:59 | アジア旅行記 | Trackback

カンボジア

ついに10年くらい前から行きたかった場所カンボジアへの旅に出る。
今回もタイから、バスでカンボジアを目指す。
出発が、なぜかというかカンボジアの宿引き込み作戦のために、6;30という、今のだらけきった俺には辛い時間ということで、ほとんど眠れずに、宿でピックアップを待っていると、顔面蒼白の日本人の男のこが、話しかけてきた。どうやら、夕べ遅くにマリ人と知り合い、バーにいって、しらないうちに、マネーベルトから、パスポート現金を盗まれたらしい、、彼の顔から見るに薬を酒に入れられたようだ。一緒にオーナーのところに行き、カードを止めて、エンバシーの場所を聞いて、彼は朝の町に消えていった、、、彼は一人旅は初めてで、つぎはカンボジアへ行こうと決めていたらしいのだが、帰ろうか迷っているようだ。カンボジアでは2週間ほどいたが、彼を見かけることはなかった。きっと彼も俺と同じように、アンコールワットを人目見たかったに違いないのに、、、、複雑な思いの中バスに乗り込み、バスに揺られ、国境の町アランヤプラテートにつく途中知り合った、大学生と国境を抜け、ポイペト(カンボジア)についに足を踏み入れた。
散々待たされた挙句小さいバスに押し込まれ、バスはカンボジアのがたがた(みんなが言うほどひどくない)道をひた走る、、、、昼間に出て、何時間もバスに揺られ、日が沈み、永遠つずいていそうな夜のカンボジアの道を眺めつつ‘け10;30にやっとアンコールワットのある町についた。
もう、アンコールワットは目の前に来ている。f0032021_1423239.jpgf0032021_14234287.jpg
by sittemasuka | 2006-08-17 00:31 | アジア旅行記 | Trackback

ラオス バンビエン補足

この前のラオス編があまりにもやる気がなかったので補足することにする。
夜バスは走る。タイのボーダーノンカイへ向けて、、、、、途中バンビエンようのお菓子を買いだめして、バスは永遠来たことのない場所を走って行く。
毎回旅の長距離移動の時自分が何処にいるのか分からない錯覚と、期待と感傷が入り混じる。
今回は一人移動ではないが、一人の時はなお更だ。
そして今回、陸路国境を通過するのは初めてなのだから。
いつのまにか、うとうとと、眠りについていて、朝日の力強い日差しと共に目が覚めた。
ノンカイは川沿いのボーダーで目の前にはメコン川と向こう岸には次なる国ラオスが見える。
メコンを挟んで、ラオスを朝日と共に眺めていると、やっとインドシナ(メコンの国)に来たのだと、実感した。この川の流れる先には、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、中国があるのだ。
タイ、ラオスの橋を渡り、ラオスに足を踏み入れる。何だか、空の色が変わったように見えた。
バスに乗って首都ビエンチャンに着くといきなりというか、予想どうりに、トゥクトゥクのオッサンに囲まれ、あるよ!安いよ!と詰め寄ってくる。流石ラオスということで、そいつらを振りほどいて、excangに向かう、ここから、通貨はバーツからリエルになるのだ。
その後バスで速攻でヒッピーの村バンビエンをめざす。ボブマーレーを聞きながら植林の見当たらない、山の中を走っていると、イメージの中のアジアと現実が重なる。
バンビエンには舗装された道はなく、人々は手で石をポイポイやりながら、その後ろをブルト-ザーが追いかける。人も犬もそこいらじゅうで寝ていて、何か懐かしくて、昔の日本はきっとこうだったのだろうと、思った。
バンビエンの町を歩いていると、みんなニコニコしていて、ラオスは暖かい人の国だと思った。
物が有り余る日本と言い方は変だが、物があまりないラオスは果たしてどちらの方が幸せなのだろう、、、、、。日本人はどこかに笑顔を忘れてきたのかもしれない。
数日後一人で近所をジャンベを持ってぶらぶらしていると、子供達に話しかけられた。
どうやらジャンベに興味を持ったらしいので、寺の前で叩くとワシャワシャといつの間にやら20人ぐらいの子供達が集まってきてた。ジャンベを子供達に渡して身振りで教えると、本当にいい笑顔で楽しそうにジャンベ君を叩いている。写真を撮ったり、子供にカメラを渡してみると、撮られる時も、取る視点も自由で、考えてシャッターを切る自分や上手く叩こうとジャンベ君を叩いている自分を思うと、なんだか羨ましかった。
改めて子供は天才だと思う。その子達を見守るお母さんの表情も凄く暖かいものだった。
バンビエンを出るときに、ジャンベを子供達にあげることにした。あいつらなら、きっと楽しんで使ってくれるだろうと思って、あの一つのジャンベから、ジャンベ叩きが生まれることを楽しみにして。

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by sittemasuka | 2006-07-29 21:17 | アジア旅行記 | Trackback

アユタヤーからラオスへ

朝町を歩いていると、昨日あった日本人が来て、ごめん、今日は一緒に行けなくなったという。
どうやら別のタイ人の女の子となにやらあったらしい。
そういうことで、その胸を話に行くと、当然怒っていたが、また会う約束をしていた。やっぱり、タイ人はいい人が多い。
車に乗り込み、再びバンコクへ、車に乗り込むと、他に2人のタイ人の女の子がいた。一人は、かわいかった。しかし、英語をしゃべるのが一人だけで、あまり話せなかった。
どうやら3人はシンガポールからタイに休暇を利用して来ているらしく、バンコクへ遊びに行くらしい、途中ビックシーという巨大ショピングモールに行った、急に小奇麗な所に来て、シャーマンパンツの我らは、パジャマでデパートに来たような気分で落ち着かない。タイスキを食べに行ったあと、彼女たちの長い買い物が、スタートして、ウ’ィトンのバックやら靴やらを簡単に買っている。
夕方になり、車が入れないということで、激しいスコールの中、タクシーでカオサンにやっとたどりついた。その後、宿に荷物を置いて、カオさんを歩いていると、さっきの女の子たちがいて、一緒に飲むことになった。というより、英語をしゃべる女の子とズーと話していた。彼女はシンガポールのdiscoで働いているらしく、そのことを聞くと、週6日毎日酒を飲みまくっていて、仕事はきついらしく、こうして、タイに戻ってくると、安心するらしい。
彼女には、ちょっと前にカナダに行って’しまった、日本人の元彼がいるらしく、その人や、他のに会った日本人の友達がいい人だったらしく、タイ人より日本人の彼を探しているらしい。彼女が言うには(タイ人はプレイボーイばっかりよ。日本人は一途だから好き)らしい。
その後DISCOに誘われたが、友達に伝言を頼んで宿に帰った。(友達は断りきれず連行されて行ったが)
宿に戻りタバコを吸いに行くと、1年4ヶ月の旅をしている男の人と前に同じ宿で、飯を一緒に食いに行った女の人に会った。どうやら男のひとは次の日エジプトに行き、友達と会うらしい。夜ネットでエジプトの情報を探していると、黄熱病の指定地域で今まさに、デモの最中にある国に、明日行くらしい。
次の日朝友達とラオスのビザ申請とラオスまでのバスに予約をいれ、昨日の女の人と三人で、朝飯に久しぶりのパンを食べ、カオさんにバンビエングッツをかいにいった。この女の人はインドはセーフティーといいいろんな国に行っている、たくましい人だ。趣味も似ているとこがあって、料理の話を久しぶりにした。帰ってみると、昨日の人がいて、いつものようにシェイクを飲みながら、ゆんたくしていると、今日伝説の人が来るらしい。
その人は、紙袋ひとつで、日本からバンコクに着き、ぶりぶりになって全身火傷でケロイドになってミイラみたいに全身包帯になったり、カンボジア国境を夜パスポートなしで、川を渡ろうとして捕まったような人らしい。
その夜、ぎりぎりで、到着した伝説の男は放心状態で宿に到着して、秘密警察に捕まるところだったという。
エジプトに行く彼を見送り、皆でDISCOに行ったり、日本戦を見たり、お菓子や楽器やペーパーを買って、
イザ、ラオスへ!

国境でメコン川の朝日を見て、ラオスへ入る。
首都ビエンチャンに入ると、すぐに葉っぱ葉っぱと声をかけられ、やっと、ヒッピーの町バンビエンへのバスに乗る。バスから見える景色は、青いそらに、高床式の南国の家々、外で遊ぶ子供たち、そこいらじゅうで、昼寝している大人達、、、、、平和な国だと思って、自然に囲まれた国ラオスをすでに好きになった。
ビエンチャンに着くと、そこはどこか日本の昔の風景のようで、のんびりしていて、皆笑顔で、明るい人々がいた。教えてもらったリバーサイドバンガローに泊まり、毎日ハッピーになって、時を刻む自然を見て、ねっころがれるカフェに行ったり、音楽を聴いたり、ジャンベを叩いたり、地元の子供たちと遊んだりしていた。地元の子供たちは素直で、笑顔の素敵な子供たちばかりで、
どこからとも無く20に人ぐらいが集まってきて、言葉は通じなくても、カメラやジャンベなどで遊んでいられた。教えるとすぐに自分のアレンジをして太鼓を叩きいい写真をたくさんとっていた。
何か初心に帰る思いだった。
今、友達と別れビエンチャンに戻ってきている。明日ラオスを離れる。
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by sittemasuka | 2006-06-30 20:56 | アジア旅行記 | Trackback

バンコクーアユタヤー

今タイのノンカイの陸路を越えて、ラオスのバンビエンというヒッピー村にいる。
俺はあれから、バンコクからアユタヤーという古都に行って来た。アユタヤーはバンコクと違い、のどかでビルもない静かなところだった。
アユタヤーにつくとなぜか大騒ぎで、目を向けると、ここの学生の女の子同士が乱闘していて、駅員に連行されていた。まさか、アユタヤーはまさかアユタヤーは血で血を洗うスラム街ではないかと、思いをめぐらせていると、いつものようにトゥクトゥクのおっさんがやってきてきいてみると、いつもの事らしく、街は学生だらけだが、のんびりしていた。
おっさんのゆるい勧誘を断り、とことこ歩いていると、やっぱり自分は田舎町が好きだとかくにんする。
しばらくすると川があって、何バーツか払って川を船で渡っていると犬が水辺で川に顔をつっこんで、遊んでるなーと思ってニコニコしていたら、犬は顔を突っ込んだままどこまでもながれていった。
岸に着くと生きている犬が元気にだらけている。アジアに共通、なのはどこでも犬がゆるい顔でだらだらしているところだ。さぞかし犬も毛皮を脱ぎたいことか。
宿を探しにだらだら歩いているとどこも学生でごったがえしていて、ナチュラルビューティーな学生をみていると、かわいい子ばかりで、眼球の運動にいい町だ。隣にいるギャンブラーも鼻の下を伸ばしながら、かわいーかわいー連発である。
夜になると薄気味悪いシャワールームのある宿を見つけ、次の日アユタヤーの遺跡などをトゥクトゥに乗って、初めてクメールの遺跡を見て像に乗ったりして、サッカーを見に行くとレストランでさっきあった、日本人会い、話していると、バーのスタッフに見えないおっちゃんが、これみろ、さーこれみろと、手品を見せてくれる。タイビールの象があっちをむいたり、こっちを向いたり、
ただ働きで大変だ。周りを見ると、どこもかしこも、手品ブームだ、そのほかに、おっちゃんは、タイの両面太鼓を持っていて、いい音がした。たたきごこちも良くて、帰りにかっていきたいものだ。
このケンジという人はラオス中国に行って来たらしく。中国の世界遺産になっている、キュウサイコウの写真をみして貰った。それが、ものすごく綺麗で、今、中国に行こうか迷っている。
ケンジ君の紹介でタイ人の女の子三人と再びバンコクをめざす。
また、だるくなってきたのでこのへんで。
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by sittemasuka | 2006-06-23 16:17 | アジア旅行記 | Trackback