厳選したヨーロッパのタンニン鞣しの革を中心に使い、一点物の総手縫いの革小物の制作・販売をしています。leon


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なぜ曼陀羅をかくのかと本当の情報について。

今日原発の話と原発の話をしに来た若い人がきた。
 原発・放射能・避難・情報。。。。。。
今回の地震と原発のことで、あくまで、自分の中で、わかったことがある。
情報。大げさに言うなら、本当の情報についてだ。言い換えれば、真実。
なにから書けばいいのやら。

 原発の前半の人の話を聞いて、得た情報。その前に色んなところで調べた情報、数字。テレビの報道。インターネット、人からのまた聞き、直接聞いた話・政府の発表。
みんな、どれが(本当の情報)か?を論議し合っている。
まことしやかな数字・記者会見・原発の職員の告発・メディアの報道・色んな講義。。。
誰もがみな、これが本当のことですよ。大変ですよ。危険ですよ。などと騒ぎ合っている。

      知ることは必要。
20代前半の若者が何を今考え動いているのか興味があり、そして、どういう(本当の)情報を流し、それによって、人々がどういう動きをしていくかが、興味があって、後者の若者にんな質問をしてみた。
(彼は自分で勉強したり、原発を作ろうとしている職員の人の話を直接きいたり、その他いろいろで、本当の情報を持っていると言っている。他の人間は関心がなく、何もしないというようなことを言っている前提。)
本当の情報はどこで手に入るのか?と。
彼は言う。自分で見てきた、信用のおける人からとあるインターネットのサイトだと。
単純に思う。俺たちの世代と大して変わらないと。テレビがインターネットにかわっただけ。情報が発信される数が多くなっただけ。

そもそも、本当の情報なんてものはないと思うのだ。例えるなら、中心も決まってないうちから、はるか先の点を求めるような滑稽な作業。

連日のように放射能漏れの数字。過去の被爆者の統計・予測。これだけの放射能の量なら影響がなく、これだけあったら、危ない。動かない点。止まっている情報。
数字はだいたいこんな感じですよというガイドラインを決めるなら、機能しているのかも知れない。
しかし、数字には個人差や状況などは含まれていないし、風向き。温度、その時の体調、調査範囲でいくらでも変わるもの。あくまで、こんな感じ。程度のもの。目に見えないもの。
(情報)もそんなもの。よく客観的にとらえるなんて言葉がある。これは自己をいれず、第三者の視点で物事を分析するようなものだろうか?
そんな器用なことはできない。あくまで、自分の主観でしかものごとは見れないと思う。
マスコミや冷静な判断を迫られる役職の人間が使う言葉に(事実)というものがある。つまり、起こったこと。
ここまでは客観かもしれないが、それを、判断するのは、数字を使おうが、記号を使おうが、統計を使おうが、判断をするのは、それぞれの(主観)で、それをむりやりまとめたのが、統計。

そんなものが、情報と言われるもので、こんな訳のわからない不確かなことに(本当の)とか真実なんて着いたらそれはもう大変である。

何かが起きて、何が起こったか。誰が何と言っていて、誰がこうだという。統計ではこうである。分析の結果・専門家が言うにはなどなど、まだ無数にちらばった「点」である。
その「点」ですら、次の瞬間には移動している。
座禅の言葉でこのような言葉がある。
(悟ったと思った瞬間、悟りではなくなる。悟った瞬間、悟りは消えているのだ。

物事は常に変化している。思考も気持ちも時間も体も自然も全てのものが常に変化している。


ここで曼陀羅の話。ここ最近毎日毎日曼荼羅を書いている。
色んな人に聞かれる「曼陀羅」って?と。答えはいつも変わるのだけど、いつも同じことをいっている。
曼荼羅は宇宙の眼・眼球・輪・バランスなどなどの意味が込められている。
これも確かにそうなのだが、もっと単純に言うと、常に変化する自分のなかと目には見えない変化をみるためのものなのだ。内観と外観。変化・バランス・線。それを見るためのもの。
曼陀羅は空間を埋める。新しい空間を作る「変化に対応する」事でもある。
手書きでの曼陀羅は、機械ではないので、完全に左右対称にはならない。つまり、非対称なのだ。
有機物は何をみても、非対称だけど、ととのっている。花を見ても花びらの形はバラバラなのだが、見ていて安心する。光も、風も、流れも空気も、水も。樹も何もかもが曼陀羅なのだ。
一つの形が小さければ、他を大きくする。つまり補う。囲う。対称でないものを描く。
 そして、全体でバランスをとる。
曼陀羅も今回の情報も同じなような気がする。

こんな時曼陀羅を書いている。日々の生活がある。地震や原発で大変な人がいる。避難所を作ったりしなければならない自分がいる。それぞれの生活があって、他人生活があって、日本の事があって、次の世代のことがあって、生きることに必死な人がいて、青空があって、戦争をしているところがあって、川が流れていて、いい天気で、何かしている人がいて、何もしない人がいて。
色んな時間が同時にいくつもあって「点」を無数に作っていく。

それを、かき集めて、自分で判断して、「点」と「点」をつないでいって、自分の中でどの情報をとって、どう行動するか、それが、唯一本当の事なのだろう。

何が言いたいか、点をとらえることではなくて、動き続ける流れを、その時その時つないでいって、言葉で言うと「感じる」。だいたいのぼや~っとした円を感じることが曼陀羅の様な気がする。

情報も同じで、色々あるけど、自分の中の本当を探して、判断するしかない。

最後に、それをどう伝えるか。
善意の情報でも、危険だとかの情報でも、人に発信する前に過去の起きたことなどを調べながら、良い流れに繋がるように発信することが大切だと思う。
ただ、あれが危険、放射能の数値がどうだ、政府の対応が間違っている。情報操作だ。内部被ばくになる恐れが。2次被ばくの心配・みんな避難しろーなんて尻切れトンボで言われても不安が残るだけで何も良いことがない。
それも、それぞれが主張する目には見えない本当の情報ばかりが広がるだけ。

知ることは必要。

例え悪い情報だろうと良い情報だろうと、いい方向に持っていこうとする具体策のある情報なら良い流れが出来ると思うのだが。

例えばこれから、関西・九州・沖縄に避難してくる人がどんどん増えるだろう、情報の流れだ。
避難所を提供するだけでは、被災者の人も長くなれば、負担になっていないだろうか?などと考えるようになり、受け入れた側もだんだん大変になる。
受け入れるだけでなく、被災者の方で働ける人には労働力として来てもらい、農地を耕したり、避難所の建設をしたり、過疎の村や、活気がなくなっているところをたてなおしていき、限界集落やシャッター通りをかっきずかせ、新しい仕事を作れればいいように思う。
そうすれば、自給率・高齢化・介護・エネルギー・雇用・などの問題をいい方向に向ける活力になると思うし、それで、生活が出来るようになって、地元に帰るも、土地に落ち付くも選べるようになる気がする。
義援金の1部をまわして、場所を作ったり、給料を払ったりする方向に向かえばと思う。
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アカルイミライ
臨機応変
by sittemasuka | 2011-03-29 19:26 | ラメヘナアート | Trackback

合作の応援CDについてと思うこと


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ジャケットのタイトルは 「結い」。想い結い。
ジャケットの表紙のように、寝ても覚めても見ていると思います。
地震について、傷ついた人について、津波について、友達について、家族について、原発について、情報について、自分が出来ることについて、地球に付いて、応援の言葉について、政治について、食料について、寒さ温かさについて、エネルギーについて、未来について、本当のことについて、うそについて、日本について。まだまだきりがなく浮かぶ想いの渦が世界中に霧のようにただよっている。見えないものを見ている。

陰と陽が入れ替わり立ち替わり心を支配しているようです。
関東の友達に電話すると、みんな笑っていました。深刻なこともあるようなのですが、とにかく笑っていたので、安心しました。
もちろん、東北の方々の気持ちは分からないので、安心と言うのは、こちら側の話です。
 動画にはたくさんの応援メッセージがあふれ、世界からも応援メッセージがあふれています。
中には的外れな意見や、中傷、根拠のない噂、情報操作っぽいの、仮説、憶測などはやっぱりありますが、
中心として覆っている雰囲気は、「陽」いいこと・思いやりのあるニュース、応援、力をあわせることなどなど。

政府とマスコミは置いておいて、日本はやっと日本を取り戻そうとしているように見えます。忘れていた心。アイデンティティー・隣の他人のこと・危険・平和・無知であることについて、正しい情報はどこにあるのだろう?原発など(知らないことの)恥ずかしさ。この国がどうなっていけばいいのかを考えること。日本人の持っている良いところ。失いたくないもの。平和。自分にできること。

自分も今回のことで、無知なこと、無関心なこと、日本が嫌いなこと。日本が好きなこと。日本民族のアイデンティティーが自分の中に無いこと、地力(食物を作ったり、生きていく力)がない、などなどを痛感している。
現に今も何もできていない。

今必要なのは募金なのだろうか?確かにお金は復興にはやくにたつし、何をするのにもお金がいることは確かだ。
でも、今回のことで、思う。
お金で作った物は、綺麗に流されて、お金のせいで、命が後回しにされているように思う。
被害にあっている人の気持ちは分からないのだが、きっと、何かを食べたり、寒さをしのいだり、雨をしのいだり、大切な人と一緒にいれること、安心して暮らせるところとか、単純でありがたいことを願っているように思う。
被害にあっていない九州が出来ることは、それぞれが、避難してくる人の場所をつくったり、食べ物を作ったり、自然エネルギーにシフトしてみせたり、
まず、九州を強く大きくして、やってくる人々を受け入れたり、落ち付いてきてから食べ物を送ったり、そんなことのように思う。半分ぐらいは九州にお金を使う。
 お金の流れは見えない、東北関東はやっぱり、九州からは遠い。食物や家は見える。
今しなければ、ならないことは、地力(食物を作る・エネルギーをシフトする・家を建てる)をつけることのように思う。
そこには、やっぱりお金がいるし、一人ではできんし、余っている力とやりたいことと、出来ない自分。何からやっていいのかわからずもやもやもやもやの毎日である。

今がやる最後のチャンスの様な気がする。世界が終らないためだとか(そんな心配は全然していない)ではなくて、やるべきことをやるチャンスなような気がする。

時は幕末。このままでは傍観者のままだ。
そろそろ、移動の季節なのかもしれない。
この先はやってくる流れを待つだけではなかなかうまくいかない。それとも流れがどこにあるのか見失っているのだろうか。。ここ数年なかなかいままで、見えていた流れがうまく感じ取れないでいる。何かを得ると何かを失うとは本当に巧くいったもの。その逆もあることも感じている。変わる時にはやはり、時間と痛みがともなうもののよう。

気がつくと関係のないことになってしまいました。
つまりジャケットタイトルの「結」は良いも悪いも置いておいて、日本と色んな人の想いを結う。

3月21日のイベントは一つ前の日記になります。




アカルイミライ。
by sittemasuka | 2011-03-19 23:10 | 福岡 | Trackback